学生服の男女と、小学生を連れた家族が街中に多い。これにサウナのような蒸し暑さを加えれば、夏の到来をひしひしと感じる。

 

夏休みになって学校の柵から解き放たれた子らは、一人でぶらついていたり、友達と歩いていたりしている。歩く彼らの顔は大抵笑顔だ。とても羨ましい。

 

今、僕の場合、自然と口角を上げて歩くことが意識をしないと出来ない。長期休みを頂いているという点では今の僕も変わらないのだけれど、いったい何が違うのだろうか。

 

 

以前の話だ。

 

母親と夕食を食べ行く事となった。

日中蒸し暑く、そんな中を歩き回っていたので、二人とも体力は限界だ。食べ歩いていたため、濃い味のモノは食べたくない。二人の意見はさっぱりしたもの、ということで合致した。

 

「何食べたい?」

「さっぱりしたものがいいわね。このあたり、お店も少ないし、そうね、冷やし中華とかでいいんじゃない。」

 

好きな人には申し訳ないのだが、僕は冷やし中華が苦手だ。生ぬるい麺は表面が冷たい油でギトギトの上に口触りがゴワゴワしている。からしや酢といった苦手な調味料がかけられていることが多い。添え物に引っ付いてくるのは、大抵、キュウリともやし、卵焼きの切れ端にベーコン数切れで、麺の油を中和するには程遠い。

 

ところが母親はこれを好んで食べる。暑い日、疲れた体でもこれを食べるとさっぱりできるのだと聞く。重ねて好きな人には申し訳ないが、僕は苦手なので、この感覚がさっぱりわからない。

 

「冷やし中華は苦手だな。うどんは昼食べたし、和食とかいいんじゃない。」

「和食かぁ、じゃあ、そこの無国籍料理屋よね。あそこ味が濃くボリュームがあるから苦手なのよ。近くのラーメン屋にする? 冷やし中華とかどうかしら。」

「冷やし中華苦手なんだよ。」

「お蕎麦でもいいけど、昼もうどんだったし、麺類続きはいやでしょう?」

「いや、別に構わないよ。じゃあ駅すぐそこのラーメン屋に行こうか。」

「あそこ混んでるでしょう? 違うところにしない?」

「・・・・・・じゃあ、現地に言って決めようか。」

 

結局、母親の決めた店でうどんだった。僕は内心、むすっとしていた。提案したことは何もかも否定され、結局は母親の決めた事に従う。昔から一事が万事これだ。これが常日頃は笑顔でいなくなった原因だと思う。

 

僕が笑顔でいると、母は必ずなぜ機嫌がよいのか聞いてくる。僕は機嫌がいいので、口を滑らせ、饒舌に話す。しかし、僕が面白いという大抵のことは、母親にとってつまらないことだ。だから、話したところで母は面白い顔をしないし、その上、「私にはわからないけれど、面白いのそれ?」とか、「そんなことする暇があったらもっとやることあるでしょ。」とか、「情けない。」とか、余計な一言を加える。そうすると楽しかった気分は一気に台無しだ。

 

しかしこれに反論すると、向こうは話を別のところにそらす。そして逃げる。やり取りが本当に面倒くさいのだ。だから折れた方が楽になる。きっと、これがいけなかったのだろうと思った。面倒くさい事が向かってくると、途端、立ち向かったところで無駄だろうという気持ちで心が支配される。

 

笑顔でいるとうっとおしいことになる。だから僕は常日頃笑顔でいることをやめた。少なくとも母親の前では、薄い笑みを貼り付けることくらいしかしていない。僕はあの時母親に文句を言って自分の考えを理解させるべきだった。逃げても追っかけて首根っこ捕まえて言い聞かせるべきだった。自分の言いたいことをため込まず、言うべきだった。

 

笑顔でいるためには、嫌なことがあった時、逃げずに立ち向かう必要がある。子供の彼らは余計なものがない分、自然に出来るのだろう。大人になって積み重ねてきたものがあると、逃げ腰になり見ないふりをしてしまう。その方が楽だからだ。

 

だが、その分、後悔と慚愧がいつまでもしこりとして残る。すると、笑顔でいるのが難しくなる。勇気を出して一歩を踏み出せばよいとはよく聞くが、その一歩がどうしようもなく重い。

 

まずは踏み出す前の下準備から始めるか。とりあえず、人と話す訓練が必要だ。